俊二郎旅日記(ル・コルビュジェ編)
近代建築の巨匠、アアルト(1999年)、ライト(2001年)、コルビュジェ(2002年)
ミース(未定)の建築に泊まる2002年1月2日〜9日まで8日間の旅日記。
2002・1・2(水)
朝4時半起床。朝食を終え最後の準備完了。
最寄駅までスーツケースを押していく。
リムジンバスにて関西空港に到着。
予定より早くなり、JALカウンターで予約便の変更を依頼。→OK
6時50分、JL936便にて羽田へ。羽田から成田へ。
リムジンバス成田のゲートでパスポートの検査を受ける。
まだ国内なのに結構厳しいようだ。
集合前にユーロに換金。初めて見る紙幣。
昨日より新しい通貨ユーロに切り変わっている。
10時45分 集合。参加21名(内1名はドイツより合流)+添乗の酒井さん。
全員で22名。これから8日間共にするメンバーだ。
いよいよフランスへのコルビュジェ・ツアーが始まった。
12時45分 エールフランスAF275便離陸(定刻)。
2002・1・2(水)
18時55分 25分早くパリ・シャルルドゴール第1ターミナルに到着。
入国審査を経て南仏ニース行きAF7712便に乗り継ぐ。1時間遅れで離陸。
21時50分、憧れの街ニースに到着。
ニースはパリからTGVで7時間、空路1時間。南仏コートダジュー地方にある
ヨーロッパ屈指のリゾート地である。
宿泊の「プラダ・コンコルド」は海岸通り中心に位置する、アルベール1世庭園
に面した築150年の歴史ある4星ホテル。
プラダ・コンコルド
前回オークパークのライトの住宅に泊まった時のシカゴ滞在2時間30分といい、
屈指のリゾート地の4星ホテルに寝るだけの一夜の滞在とは・・・・?
ホテル到着は既に夜中の11時で、ロビーで全員、酒井さんから差し入れの
おにぎりを頬張り、一日目のディナーが終了(本当においしかった)。
2002・1・3(木)
朝食を終え7時45分ドア外に荷物を置き、まだ暗いが外に出てみる。
とりあえず南仏ニースの海岸を歩かねば。皆んな同じ考えみたい。(寒いのに)
8時25分バス出発。運転手は陽気なデニスさん。
第一の目的地はイタリア国境に近い半島の町カップマルタンのコルビュジェの墓所。
途中モナコ、モンテカルロを経て1時間30分で到着。
休暇小屋よりモンテカルロを望む
地元観光局の若い女性エリザベットさんの案内で休暇小屋へ向かう。
(墓所は山の上で遠くて無理との事)ほんとうに狭い道を上手にバスは抜けて
イタリアへ続く鉄道の駅にパーク。コルビュジェ通りと名付けられた小道を
地中海を右に見て進む。途中E1027/アイリーン・グレイ邸がある。
2年後に修復され公開されるとの事。これからも関係が続くことになるのか?
休暇小屋へは180度向きを変え下方に下りる階段をおりた場所にあり、
手前に3畳大の作業小屋、奥に8畳大の休暇小屋がある。
休暇小屋 作業小屋
残念ながら、片流れのスレート屋根、丸太を落とした横板張りの外壁、
ベニヤ張りのモデュロールの小屋は私には少し期待はずれだった。
11時30分カップマルタンを後にし、イタリアとの国境の町マントンより
高速道路へ入る。反転し西へ向かう。
ニース〜マルセイユのほぼ中央、ヴァール地方トラギニヤン近くの葡萄畑を
抜けた林の中に今日の目的、ル・トロネはある。14時50分着。
ル・トロネはロマネスク時代のシトー派の修道院(1136〜1200年頃)で後の
ラ・トゥーレット修道院の下敷きとなった建物である。
案内所を抜け石階段のアプローチを進むと聖堂南庭に出る。
ル・トロネ
入り口は西面端部の小さな1枚の扉だけ。中に入ると、わずかな光だけが
採り入れられたヴォールト天井の聖堂内部。正面奥左方の聖堂翼部より大寝室へ
の階段を上ると、連続した美しいアーチの開口中庭の回廊に出る。
回廊正面側方から採り入れられた光により、凹凸のある粗い石面の壁が
自然の模様を美しく浮きだしていた。光が形となっている。
回廊 大寝室
何一つ装飾らしき物の無い、2階大寝室の中庭に面した厚い壁に嵌め込まれた
ステンドガラスからの光が素晴らしかった。
なんとかスケッチ3枚書き終え、16時30分マルセイユへ出発。
マルセイユは紀元前600年、ギリシャ人により開かれた歴史を持つ港街。
南仏プロヴァンス地方の中心都市である。
18時00分。第3の目的地で今日の宿泊先ユニテ・ダビタシオンに到着。
周りは既に暗く、バスは市中をグルグル回って何とか足元に辿り着いた。
ホテルのロビーに飾られている写真では、建設時は郊外で周りはなにも無い場所
であったようだ。
チェックインののち、荷物を部屋に放り込む。夕食は酒井さんの提案により、
近くのレストランで。参加者全員の初めての食事。
お酒も入りやっと落ち着いてツアーの実感が湧いてきた。
ユニテに帰り、中の食料品店で寝酒のウイスキーを買い求め、就寝。
2002・1・4(金)
目が覚めた 4時05分。モヤモヤで1時間。あきらめて資料をまとめる。
私の部屋は3F(実は8階)NO.E10号室。シャワー付きのシングルルーム
廊下の扉を開けると、前室とトイレがあり、奥に2つの部屋がある。つまり共用トイレ。
早速スケッチを書き、採寸を始める。内法巾1760mm両手をひろげるとほぼいっぱい。
手前よりシャワーブース、洗面、クロゼット兼用のベッドのヘッドボード、ベッド、
反対面にTVの載った机、そして両開きの窓の向こうはバルコニー。仕上げは押え縁のベニヤにペンキ。
あとは間仕切り壁に埋め込まれた飾り棚2つ。・・・・以上。
NO.E10号室
廊下
(後で分かったが、ツインの部屋はそれなりに良かった。)ただし中廊下は暗い。
私はツアーの時早く起きて周囲を散策する。(傍から見ると少し怪しくみえるかも?)
廊下に出ると、ツアーメンバーは私と同じ種類の人間でウロウロしている。
外はまだ暗く、このあたりは8時を過ぎないと明るくならないようだ。
7時よりホテルロビーの横にある2層分の吹き抜けのあるレストランでモーニング。
さっさと済ませ、住宅の見学。(どうもホテルの管理人さんの住居らしい)
フランス語だけしゃべれる女性と通訳(英語)の若い女性の説明でリビング・イン
(入り口階にリビング、2階に寝室)タイプを見学。本箱がついた扉等(合理的?)
よく考えられている。
住宅 屋上から
屋上にあがる。体育館、保育園、プール、煙突。ピロティのある四角い箱の上に、
またピロティ(200φの柱、80mm厚のスラブの階段)のあるこんなに自由な造形が載っているとは。
青空の下、地中海が一望のもと港の沖には、岩窟王の舞台となったイフ島が見えた。
9時30分次の目的地 ラ・ルブレルのラ・トゥーレット修道院に向け出発。
到着予定は15時30分。6時間の移動。
マルセイユ市街の建物は6〜7階くらいの歴史的な美しい建物が多く残っている。
マルセイユの街
マルセイユ生まれのデニスの説明では1、2階の階高が高い程歴史があるとのこと。
途中フランス東部中央ローヌアルプス地方にある、パリに次ぐ大都市リヨンの街を
抜けラ・ルブレルに到着。もう少しというところで突然バスが停まってしまった。
線路をくぐる道でバスの高さが制限をこえ、進めなくなってしまった。
実は私を含め皆んな、たいへんあせっていた。
翌朝の出発予定が8時のため、ラ・トゥーレットの光ある聖堂が見れるのは、
今日の限られた時間だけだ。これまではすべて暗くなってからだ。
しかし神はあるもので(フランスに来たせいか、すこし大袈裟?)
立ち往生している私たちに、後からきたスクールバスの運転手が迂回路を先導して
案内して頂ける事となった。
小高い丘の林の中、ラ・トゥーレット4時前に到着。
隣の斜面で案内して頂ける神父さんから説明を受け大急ぎで内部へ突入。
聖堂へのスロープになっている廊下の中庭に面した開口の方立ての見付け巾40mm、
ピッチは220、330、440、660mm・・・・・・の組み合わせ。いよいよ聖堂に入る。
日暮れ時、想像以上に暗い。ル・トロネの聖堂が頭に浮かぶ。正面祭壇右側の壁、垂直
スリットと背面壁面と天井スラブの水平スリットとトップライトがひとつ、ひょっと
すると床面で光がクロスになる設計では?と考えてみる。
前方右方に小聖堂、若い頃買ったGAの表紙がそこに在る。
コンクリートの暗闇の中に赤、青、黄色のカラーが浮かび上がっている。
小聖堂 NO.50
私の部屋は3FのNO.50。巾1830mm(ユニテ1760mm)2260CH
ユニテ・ホテルの部屋からシャワーブースをとれば、ほぼ同じ。白木の枠にグリーン
のベニヤのガラス窓、入り口ドア横に換気用の小さな巾の扉が付いている。
廊下の水平に伸びる窓はサッシレスの僅か300Hの開口。風を入れるための小さな
窓が各室の扉の前についている。
夕食はラ・トゥーレットにて。
メニューはスープとパンとパイ?とヨーグルトとコーヒー。修道僧の体験ツアーか?
ワイン飲み放題と聞いていたが、妙に早く終わらせたがる給仕役の女性で、結局
2杯だけで終了。(後で解るが実はたっぷり呑んで体を温かくする事が必要だった)
共同シャワーで心許無い湯を浴び、部屋に戻りベッドメーキング。
備え付けはシーツと薄手の毛布1枚。暖房は窓際のラジエーターのみ。真冬では
ほとんど効かない。とりあえず就寝。
2002・1・5(土)
目が覚める。2時。次は5時。それでも不思議と今日がいちばん寝れた。
部屋のスケッチと実測。朝食はパンとコーヒーとオレンジとサービスのミネラルのみ。
皆んな大変寒かったらしい。私は不思議と?。(次来るなら夏がよさそうだ)
気温-2℃で外は雪が積もっていた。
8時00分ラ・トゥーレットを出発。アルザス地方の街ベルフォートを抜け、
次の目的地、いよいよロンシャンの教会へ。天気は快晴(雪は残っている)
ロンシャンの村に入る手前より正面の小高い丘の上に教会が見えた。
丘の上の教会
真っ青な空をバックに白い建物がはっきりと見える。
村に入ると右折の小さな看板があり、鉄橋の下をくぐり丘を登っていく。
1時10分昼食抜きで到着。出発は14時40分。さー大変だ。
外は写真OK。ぐるっと一回りして中へ入る。想像したより明るい。
ステンドガラスよりの色付きの光が素晴らしい。写真を3枚。
外観 内部
その後メンバーの1人が内部の撮影ダメの注意を受ける。
なんとかスケッチ5枚。用意した図面との照合・・・・。あっという間の1時間30分。
あきらめの中、みんなの気分を察して酒井さんより30分延長の提案。
一も二もなく、バスより見納めの内部へ再び、大急ぎ。
ロンシャンからの眺め
ロンシャンより30分。宿泊地のベルフォートに到着。
城壁の中の旧市街地のレストランで地ビールを呑み比べて夕食。本当に寒い。
2002・1・6(日)
8時00分 ―5℃ 凍るような朝、ベルフォート駅へ。
マルセイユに戻るデニスさんとはここでお別れ。
9時15分発のパリ行きの列車に乗る。
ベルフォート旧市街 パリ東駅
13時10分パリ東駅に到着。駅構内にあるスタンドでやっと昼食。
このツアーの食事(昼)代はほんとに安くあがる。(晩はちゃんとしてます。)
早速パリの郊外ポワシーのサヴォア邸へ、バスで約25分で到着。
長く続く石積みの趣きのある塀に真っ白なフェンス門(新しく付けるならもう少し何とか?)
、道からは全く見えない。
入口
木に覆われたアプローチを抜けると、美しい芝張りの中に、白い建物が中央に。
荒れ果てたGAの写真とは違い今はきれいに修復されている。
アプローチより ドアハンドル
上から下までみんな精力的に動いている。
2階リビングよりテラス方向のスケッチ、階段、建具周りの採寸とスケッチ。
面白いが、使いづらいドアハンドル等本の写真では解らない、気づかない
部分が今までの建物も同じでいっぱい。
心残りで、せかされて再び夕暮れのパリに戻る。
ホテルへの直行が予定変更し、第1日曜が無料との情報でオルセー美術館を見学。
18時入館。駅舎を改造したオルセーはルーブルに次ぐ規模。
90分、じっくり絵を見る時間はないが大急ぎで建物一周。
内部写真はフラッシュなしでOk。
オルセー 左にルーブル右にオルセー
オルセーを出ると、セーヌ川の向こうにライトアップされたルーブルと
コンコルド広場の観覧車が見えた。パリにいることが実感される。
次はJヌーベルのカルチェ財団ビルに。20時ぎりぎり間に合う。
こちらは撮影一切ダメ。
世界一透明なガラスの感覚は、夜は少し難しい。
見学後やっとホテルへ。
ホテルはパリ2区オペラ座近く、マドレーヌ教会のすぐ側にある
三つ星ホテル「BURGUNDY」。立地は最高(らしい?)
当然歴史のある良い建物だが、廊下の床は少し自然のスロープ(傾き?)付き。
パリの中では当たり前の事でしょう。21時を回りチェックイン。
(観光できている普通の人たちは付き合えきれないでしょうね。)
ルームNO.512.荷物を放り込みオペラ・ガルニエを一回り。
オペラ・ガルニエ
近くのイタリア(パリまで来て?)レストランで食事。
メンバーの小林さん御夫婦や荒木さん達の前回訪れた時の印象や、他の建物の
話しを楽しく聞けた。
(若い女性を含め参加のみんなのヴァイタリティーには感心との事でした。)
2002・1・7(月)
残された日はあと2日。今日は自由行動日。
といっても当然オプショナルの建築ツアーに参加。
まずはラ・ロッシュ・ジャヌレ邸まずはラ・ロッシュ・ジャヌレ邸。シャンゼリゼ大通りを西へ。
凱旋門を左に回り途中エッフェル塔の記念撮影。
パリ16区ドクトゥル・ブランシュ小路。市内では比較的珍しい
戸建住宅地にあるラ・ロッシュ・ジャヌレ邸(現ル・コルビュジェ財団)に到着。
黒い大きな門の中の袋小路にあり、道路からでは存在が分からない。
道路から
朝10時の約束が、相手の勘違いで午後に変更。先に大学都市に向かう。
ブラジル学生会館(維持管理の協力=見学費として2ユーロ)はピロティーにあるロビー天井の手が届きそうな
低さから曲線を描きながら高くなっているのが印象的。階段室の外部の造形・目地・仮枠板目をスケッチ。
ブラジル館 スイス館
続いてスイス館へ(こちらも協力費)階段室のガラスブロック、大壁画のホール
柱にコルの図面やポスターが貼られ少しショップ風に変身。全景をスケッチ。
スイス館から救世軍会館へ。実際に使われているため遠慮ぎみに内部見学。
国立図書館(D・ペロー)木のデッキと人工の森を見て、ポンピドーセンター
ポンピドーセンター
(R・ピアノ)に登り、ラ・デファンスへ。吹き抜けの展望EVより屋上デッキに登る。
先程まで曇っていた冬のパリの空がこの時快晴に変わった。
ラ・デファンス 屋上からの眺め
シャンゼリゼ通りよりパリの街が一望。再びラ・ロッシュ・ジャヌレ邸へ
連結された2つの住宅からなる建物。2階の屋外テラスが続がっている
予定外のウロウロで盛りだくさんな一日となった。
ホテルに戻り、少し1人でパリの街を散歩してみる。
パリの6つの駅のひとつサンラザール駅まで。生のパリが見えた気がした。
ツアー最後の夜はホテルのレストラン、全員で食事。
昨夜酒井さんがイタ飯にした理由が呑みこめた。
2002・1・8(火)
ホテル発10時00分予定。行けなかったルーブルをひと目見ようと、荷物を
まとめ、同室の木村さんを誘い、暗い朝靄のなかルーブルまで歩く。
誰もいない中庭のピラミッドの前で開館の9時迄待つ。
が、どうもスタッフだけが出入りするだけで、誰も来ない。
大失敗。ガイドブックの読み間違いで、今日は休館日。
もう一度来い、と言われていると自分を慰め、ホテルに戻る。
パリの街並を見納め、再びシャルル・ドゴール空港、ガラス張りの第2ターミナル、ホールFに到着。
ルーブルのピラミッド シャルル・ドゴール空港
13時15分発 AF-276便にて(さらばコルビュジェ・・・。)
2002・1・8(火)
9時10分成田。 やっと到着、安心もつかの間、何かおかしい。
荷物が100個パリでの積み忘れが知らされる。
幸いにもコンベアーで見慣れたスーツケースを発見し、ほっと一息。
最後の最後まで、旅は何があるか?
一日走ってひとつ見学の前半、朝から晩まで次から次の後半の旅。
あっという間の8日間でしたが、いつも通り紙面では得られない
楽しい思い出です。
トラベルプランの酒井さんや同行の皆さん本当に有難うございました。
体力のあるうちに、次のツアーを物色中です。