| ミネアポリスよりシカゴへ(01年2月5日) 厳寒のミネアポリスより約1時間すこしでシカゴ・オヘア国際空港に昼前到着。 私のツアー1番の目的地オークパークへ、早速TAXIに。これから大変な事が待っているとはつゆ知らず?。 当初、シカゴも宿泊はループエリア(ダウンタウン)内のホテルを予定。ところが、得意のコンピュターをI氏が駆使し、とんでもうれしい<情報>を見つけてくれました。 FRANK LLOYD WRIGHT 設計の 「CHENEY HOUSE」 (a+u誌 1981年7月臨時増刊 フランク・ロイド・ライトと現在P115に掲載)邸に泊れるらしい。 それもオークパークに実在するとのこと。155$/一泊の料金に、不満気なH君を無視し、遮二無二予約を依頼した。 事前の調べで空港〜オークパークまではおおよそ16km(約15分くらいか?)。 行き先をドライバーに告げると、アメリカが誇る世界的に有名な建築家のライトは知っていたが、すくなくとも、彼らにとっては有名なホテルではないため、確認の為に走っている車からチェニーハウスに電話を掛け始めた。 ところが、何回掛けても応答は無。ほんまかいな?と思いつつ、30分以上かけてオークパークの町に到着。(ちょっと遠回りされた様な?) 住所と地図を頼りに行ったり来たり。 (運ちゃん曰く、この辺りは夜中の歩きは危険だと脅かされ? そんなふうには見えないが? ) 目標は Chicago Ave と N East Aveの交差点。 行ったり来たりで遂に、あのa+u誌で見たチェニ−ハウスが、雪の積もった通りの向こうに見つかった時の感激は!!!!!とうとう来てしまった。 ![]() 早速I氏といっしょに一直線のアプローチより玄関へと向かう。玄関には書き置きといっしょにひとつの鍵が置かれていた。 地球の反対より、はるばる訪ねてきた私とライトの初めての出会いだった。書き置きに指定された部屋は、下階(半地下)にある25帖くらいの暖炉のあるリビングとふたつのベッドルームのあるスイート。反対側にもうひとつのスイートがあるらしい。 インテリアは押さえ気味だがオリジナルな雰囲気に思える。 水廻りは残念ながら?宿泊用にジャグジーバス他の改造済みだ。 興奮冷めやらぬまま早速ベッドに横たわり、まだ不審気なH君に依頼して早速、記念撮影をする。 片付けもそこそこに、ランチを兼ねて待望のオークパークの見学に出発する。雪が残る19世紀当時のままの街並みは、1ブッロク(約125m)あたり2〜3軒くらい。 大きな街路樹(文字どうりオーク)とのゆったりした街並みは、見慣れた我が町の現状との差に(なんで、こんなにちがうの!!!。)Chicago Aveを6ブッロク西へ(約20分くらい)。やっとの思いで、雪景色のなかに三角形と八角形による黒っぽいコロニアルと煉瓦の、あのフランク・ロイド・ライトHome&Studioに到着。 ![]() 併設のGinkgo Tree Bookshop でツアーの予約。Home&Studioの見学は9$。平日は11am、1pm、3pmの3回。3pmを予約し、近くのパンケーキ屋さんで昼食。(朝が早かったので、しっかりしたランチにしたかったが、情報不足でとりあえず。もう少し南の駅周辺に、レストランを見つけるのは翌日の散策時のことだ)。簡単な食事の後、通り沿いのライト設計の「ユニティ・テンプル」を見学。この1905〜08年竣工の教会は、伝統的な三角の尖塔や屋根のまったく無いキュービックな形のコンクリート(新素材)造の建物だ。(なんでも当時の一般的な教会の半額以下で建ったらしい。) ライトらしい繊細に装飾された列柱と窓の組み合わせが特徴で、左右に分割された建物の中央に位置する、玄関より内部に。受付で記念の記帳。少し上の欄に日本人らしき名前がある。左へすすむと聖堂の側部へ出る。視線は自ずと上へ上へ、写真で見たアートグラスによるトップライト(天窓)とハイサイドライト(高窓)により、光が上から降ってくる木の格子とクリーム色の空間だ。半地下から3階まで行ったり来たりで納得。(ふと旅行者に戻り、ユニティ・テンプルのデザイン入りトレーナーを子供と自分の記念に購入。) ![]() 時刻はそろそろ3時。大急ぎでフランク・ロイド・ライトHome&Studioに戻ると、玄関前に10人くらいの男女と真紅の帽子とジャンパーの老人が、実はこの方がガイドで外から内部まで、ライトのエピソードを加え、こと細かに説明(残念ながら、ほとんどI氏による訳)をしてもらえる。 内部の写真は一切ダメで、記憶に残そうと、ついつい遅れ遅れて約1時間で無事ツアー完了。「 すごい」の一言。1889年〜1901年にかけて次々と増築を行い、 現在の姿になったとの事。 調度品ふくめてすべてライトの計らしく、今面を書いたら何百・何千枚いることやら。ついつい我に引き戻され、天才と凡人の差に感嘆と自信喪失が一遍にやってきた。 感謝、感謝、目の保養になり、アリガトウございました。 ここでの記念は、悩んだ末にライト邸子供室と同じデザインのアートグラスを購入する事を決定し、梱包は「入念」を依頼。 ![]() 5時迄にチェニーハウスに戻り、オーナーの帰宅を待てども待てども……? 外は既に真っ暗。やっと初老の主人と出会えたのは、6時をとっくに過ぎた頃で、突然扉をあけて一言二事。ところがいきなり「サイドテーブルの上のランプはどこだ?」との詰問を受ける。実はH君がI氏の子供達に気を利かし、床上に移した事を説明し事無きを得る。ついでに内部はすべて「ノースモーク!」の一言。この言葉にヘビースモーカーのI氏、H君の両君は恐縮だ。我々は歓迎。ほんとにこのルールはアメリカ万歳だ。 早速オーナーD氏はチェニーハウスの説明を始めてくれた。先程のライトのスタジオでのガイドにも負けないくらい?色々と熱心に。 チェニーハウスは D氏の母上が購入し、引き続きD氏が管理をしているとの事。他の部屋も案内され「このテーブルやランプはオリジナルで、このバスルームもオリジナルで…・」等など。ご解説アリガトウございました。 最初に入った暖炉のある半地下のスイートはI氏家族に譲り、H君と僕は上階(1階)のリビングルームに続くオリジナルのマスターベッドルームに行く事になった。 時刻はpm8時頃。D氏との会話もそこそこに、タクシーにて夜のシカゴの街へ直行。 シカゴはNHKで放映中のTVドラマ「Er」(今はたしか Y のはずだ)の舞台の街だ。古い話ならアンタッチャブルの世界。何年か前の映画でも再びなじみのある街で、現在全米3番目の大きな都市のはずだ。ガイドブックにも書かれている。 ここでの観光で有名なのは、建築ツアー。 数多くのツアーが催されているが、いまは真冬の夜中。 シカゴのツアーコンダクターは僕の担当で、一押しはシアーズかジョンハンコック(ともにビルの名前)か。 悩み悩んで、ガイドブックによる展望の記事の差でジョンハンコックに決定。 シアーズはこの前までマレーシアのビルに抜かれるまで世界一高いビルだ。ジョンハンコックは1970年竣工。設計事務所SOMの設計による100階建、高さ343mの建物。強風時には屋上部分で30p以上動くらしい。 94階の展望階まで高速エレベーターで約1分(ガイドブックでは39秒)とにかく速いし、また揺れる(すこし恐かった)。 ![]() 上は「別世界」、「光のシャワー」とは言い得手妙。大阪の難波のサウスタワー(いい喩)もきれいだが、その3倍の高さとは!このスケールの違いは!!!(あたりまえだが、一度行ってみてください。)カメラをガラスに当てての「スローシャッター手ぶれ写真」でも、その美しさは、帰国後みんなに見てもらっても賞賛の一言。本当に素晴らしかった。美しい景色も空腹には勝てず。ジョンハンコックより3ブロック西にある、中国レストラン「Jia'S」をガイドブックより選択。 時刻はすでにpm9時を回り、 同行の諸氏は、寒さと疲れと空腹の為か「遠い、遠い」の合唱。すこしは一生賢明な情報収集の苦労も解ってくれ!(私もぺこぺこなのだ。)「Jia'S」は寿司のカウンターもあり(ほんとに中国レストラン?)すこし変だが安くて、美味しく、ガイドブックどおり。ボリュウームもたっぷりで食べきれずに持ち帰ることに決定(いい判断でした)。 滞在約2時間、憧れのシカゴ。本当はもう少し見学したかったが、旅行もハードスケジュールの4日目、I氏の御家族も相当疲れている様子。外は雪が降り始めたため、再びオークパークのチェニーハウスへタクシーで直行。 (このまま無事に就寝できれば同行のみんなも、いい思い出になるはずが?)ここからが、100年の歴史か、後でH君にチェニーハウスが「びっくりハウス」と呼ばれることになるのは。帰宅後早速各々の部屋でバスを使用。私が使ったのは、建築時オリジナルのバスで、お湯もバスタブに溜まり、とにかく湯に漬かり気分もOK。人心地ついて湯を抜こうとし、栓を外したが湯が抜けない。そうこうしていると、今度はI氏が階下から上がってきた。 あのゲスト用の綺麗なジャグジーバスは、最初のうちは湯だったが、使っている途中から水しか出なく、冷えた体で出てきたとの事。上階の惨状も理解し、やむなく部屋へ引き返した。疲れもピークに近く、早く寝よう!とベッドに入る。その時、カーテンで仕切られた廊下の奥の、D氏の部屋(と思われる)より、動物(鳥?))らしき鳴き声が聞こえてきた。(不安が一瞬過ぎったが) 後でよくよく考えれば チェニーハウスは、BED&BREAKFAST 文字どおりベッドと朝食だけの民宿だと理解すれば納得だが。 それでも体は正直で、すぐに眠れた。 朝起きるとバスタブの水は抜けていた。ひと安心はまだ早かった。今度は便器。これもオリジナルらしい。使用後水を流した迄はよかったが、今度はタンクに水が上がってこない。使った後なので、もうあきらめた。朝食はD氏が用意してくれた、牛乳とジュースとコーンフレークらしき物。ここは昨夜の持ち帰り分が有り難い。備え付けのレンジで温め、皆で納得。 出発は昼でOK。再びオークパークの町を散策。スタジオ迄戻り、徒歩によるライトの建築ツアーに参加する。 ![]() オークパークと隣接のリバーフォレストには今も30を超えるライト設計の住宅と、当時の他の建築家による50以上の住宅が現存。ツアーはレシーバー(日本語もあり)の解説とマップを片手にこれらを見てまわるツアーだ。(今もすべて居住されているため、内部は当然だめ!) 1892年〜1913年頃のライト設計の住宅が見学できる。初期の頃の住宅は「これが ライト?」と叫ぶ物も。これも天才の一面と見ればおもしろい。 約90分くらいだが、昨日とは違った意味でOK。 100年を超える街並みだが、大きく育った街路樹と、ライトを中心とした当時の優秀な建築家による個性あふれる建物と、そこに住まわれている代々の人々の建物を大事にされる思いにより、現在の日本では到底及ばない、豊かな環境の街並みが今も残されているのでは、と感じられた。 ![]() チェニーハウス ライト設計の住宅への宿泊という忘れられない思い出のシカゴ・オークパークより再びタクシーでオヘア国際空港へ。 (オークパーク〜オヘア間の料金は一律$21との事。オークパークの運ちゃんは正直ですね。行きは色々あって気がつかなかったがメーターを回されて、チップ込みで$50の支払。 反省・ もう少し旅行上手になる必要があり。)シカゴ(オヘア)よりラスベガスへ(01年2月6日) 以下続く ![]() ラスベガス空港 グランドキャニオン |
| back |
architecture & computer design office
oosaka izumiootu city toyonaka 1-8-13